ドン・キホーテ・デル・オリエンテ

いろんな意味でテストちう。

あまりにもロシア的な。

本年2017年がロシア革命から100年ということで日本の隣人・ロシアがいつにもまして脚光を浴びているようだ。6月まで開催中の「大エルミタージュ美術館展」(森アーツセンターギャラリー)とこの記事の「ロマノフ王朝展」(東洋文庫ミュージアム)など気になる企画展がちらほら。

 

ロマノフ王朝展――日本人の見たロシア、ロシア人の見た日本――

日露の交流を中心にロマノフ王朝を眺める、アカデミックな展示会だった。絵画はなく(挿絵のみ)、文書が中心(確かに、美術展とは一言も言ってない……やられた)。

 

ロマノフ王朝

簡単にロマノフ王朝の歴史をおさらいしておこう。

おしえて!グーグル先生!

 

ロマノフ家とは……出自は詳細不明。プロイセン(ドイツ)の弱小貴族か。

(・1603年 徳川幕府が開かれる)

・1613年 ミハイル・ロマノフが皇帝(ツァーリ)として即位。

・1652年 モスクワ総主教ニーコンにより、ロシア正教会の奉神礼を同時代のギリシア正教会に合わせる改革が始められる(=政治権力との結びつきを強める)。この改革以降、反発した保守派が古儀式派(=それまでの典礼を継承する。ロシア正教会からは異端と見なされるようになる)を形成していく。

・1654年 ポーランド領に侵攻。

・1712年 ピョートル1世、帝都をモスクワからサンクトペテルブルクに遷都。

・1721年 ピョートル1世、モスクワ総主教庁を廃止。代わりに俗人が統括する聖務会院が置かれロシア正教会を統括。ツァーリによる教会統制の完成。

・1762年 エカチェリーナ2世即位。啓蒙主義を取る(後に反動保守化)。

・1815年 アレクサンドル1世、ナポレオン戦争に勝利(モスクワ焦土作戦)。ウィーン体制。

1878年 露土戦争オスマン帝国に勝利。バルカン半島の覇権を握る。

・1891年 ニコライ皇太子(後のニコライ2世)日本で襲われる(大津事件)。

・1905年 血の日曜日事件

・1917年 ロシア革命勃発。ニコライ2世退位、ロマノフ王朝滅亡。

・1918年 皇帝一家銃殺、皇室断絶。

 

ロシアとは不思議な地域だ。ヨーロッパであり、アジアであり、ヨーロッパではなく、アジアでもない。19世紀後半あたりになると反動保守的な政治に反発するように文化が一気に花開く。文学だとドストエフスキーゴーゴリトルストイチェーホフなど、音楽や美術も名作が次々と生み出された。それは、世界が急速に一つになりつつあった時代にあって「ロシア的なもの」とは何か、と真摯に問うた文化人が育てた果実であろう。ヨーロッパでも、アジアでもない、ロシア。

 

ロマノフ家の紋章が双頭の鷲とかいう厨二心をくすぐるものだった。咄嗟に上智大学の校章が浮かんだけど、あれは頭は一つだったはず。うーん、惜しい。。。

というのはさておき。

学術的に貴重な蔵書(亀山郁夫氏蔵『カラマーゾフの兄弟』の初版とか)がたくさんあったので見る人が見れば面白かったのだろうが、特に序盤はビジュアル的な分かりやすさ、もっと言ってしまえば華やかさに欠けるきらいがあった。展示会の中盤から後半にかけては絵画があったので安心したが。声優の上坂すみれさん(上智大学在籍)をスペシャルサポーターに起用したのだろうが……。あ、上坂さんの声は透明感があって綺麗で好きだ。が、キャプションを読み上げるだけで黙読の邪魔になるのでイヤホンガイドにしてくれるとありがたかったです。。。

ロシア、時々蝦夷

目玉の一つ、「プチャーチン来航図」は2016年に安倍首相がプーチン大統領に複製品を渡したことで話題になったものの原本で、当時の日本人とロシア人が一緒になって船の完成を喜ぶ姿は感動的ですらあった。困難に向って力を合わせる、どこかの週刊誌の王道的展開だが、それが実際にあった出来事だと思うと胸にこみ上げてくるものがある。

蝦夷の風俗を描いたものもよかった。捕らえた熊の周りで踊るアイヌののびやかさ。我知らず微笑を浮かべてしまう絵だ。 

 

世界は狭くなったのか 

『魯西亜国漂白聞書』が公開されていた。ロシアに漂着した大黒屋光太夫ら一行が、日本への帰国許可を得るためにシベリアを横断、サンクトペテルブルクに向かう様子を描いたものだ。10万kmを足掛け10年。スマホや電話といった通信手段は無論、鉄道すらもなく。ひたすら歩き歩く。広大なシベリアの大地を。心細かっただろう。同時に、それはとっても壮大な世界だっただろう。なんと遥けき世界。

翻って今はどうだ。

掌の中のスマホでグーグルアースを弄ればたちどころに世界中を文字通り掌握できる。SNSやメールを飛ばせば、電話をかければ、文字通り地球の反対と繋がれる。とても現実的で、せせこましくて、つまらない世界ではないだろうか。私はそれをとても残念だと思う。

 

時々、絶望的な気持ちになることが在る。

 

でも。私の知っている世界は可視化された世界だけ。インターネットにある情報は所詮誰かがアップロードしたものしかない、私はそれしか知ることができない。だから、本当はまだまだ世界は広いのだ、そう信じたい。

 

 

近代化を恨み、受け入れ、逆らいたくなる。そんな不思議な気分になる展示会だった。

つまりは面白かった。

 

 

タイトルは、亀山郁夫氏の著書タイトルより。

本当にロシアについて知らないので今度読もうかなあ。。。

プラットホームのカナリア

物心ついてからこの方、ずうっとJRユーザーなのだけど、最近気になることがある。

ラッシュアワーや、週末の夜更け、酔払い共が千鳥足でふらふらしている時間帯に流れる、このアナウンス。

 

「まもなく電車が参ります危ないので、黄色い線の内側までお下がりください」

「お下がりくださーい」

「電車来てます!危ないので!お下がりください!」

「お下がりください」

「危ないですよー」

「お下がりくださあああいいいいいい」

 

……毎日毎日駅員さん方、本当にお疲れさまです。

言っても言ってもブロックの上や外側を歩き続ける人のなんと多いことか。よく切れないで警告できるなあ。私なら絶対に切れちゃう。すごーい、がまんづよいフレンズなんだねー!

 

ただ、一方で疑問もあるのだ。

それは、

「そのアナウンス、伝わっていないんじゃないのか?」

駅員さんの努力を否定するわけじゃないしむしろ尊敬しているくらいだけど、たぶん努力の方向性が少しズレているんじゃないか、と思っている。

ここで、「度重なる警告を無視する」原因をいくつか考えてみたい。

1. 敢えての無視。

2. 音楽を聴いていて聞こえていない。あるいはスマートフォンに夢中。

こいつらは然るべきところにしょっぴいても良いのでは、と思うのだが、問題は、次のパターン。

 

3. 日本語が分からない。

 

中国人や韓国人をはじめ、アジア系の人々は、見た目では「日本人ではない」「日本語が分からないであろう」ということが、我々日本人でも判断が付かない。むしろ遠目で判断して「なんで日本語が分からんのだ」とイライラしつつ首を傾げてしまうくらいだろう。日本語が分からなければ、せっかくの警告も伝わらないのは道理である。

 

観光立国を目指し、実際に訪日外国人が増えている昨今。3年後に東京オリンピックを控えた首都圏ですら、駅員によるアナウンスは日本語だけだ。「おもてなし」をするつもりがあるのならば、せめて英語、できれば中国語・韓国語のアナウンスが欲しい。別に駅員さんが話せる必要はない、放送するだけで良いのだ。

 

プラットホームのカナリアが不機嫌にさえずるのを聞いて、ふと気になったことでした。

平成草子―手習―「千年前の清少納言へ」

春はあけぼの

天の下 ビルの上 すでにみつる光ありて 紫だちたる雲の細くたなびきたる

夏は夜

月のころはさらなり 闇はなし 尾灯(テールランプ)の多く飛びちがひたる

また、おちこちの建物の耿耿とうち光りて止まぬはあはれなり

豪雨(スコール)など降るはわろし

秋は夕暮れ

夕日のさしてビルの端いと近うなりたるに、スーツの寝どころへ行くとて三つ四つ、二つ三つ、一つ一つ一つなど電車に飛び乗るさへあはれなり

まいて をこのもの仮装したるの連ねたるが、ののしるさまを見ゆるはいとをかし ふざけろかし

日入り果てて、風の音、電子の音はた言ふべきにあらず

冬はつとめて

雪の降りたるはめづらかなり 吐く息のいと白きは さらでも いと寒きに暖房など急ぎおこして 懐炉持ているもいとつきづきし

昼になりて ぬるくなれば ねむくなりがちになりて わろし

 

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無理ムリむり!

先日、会社から大変不誠実な対応をされて怒り心頭です。

一つ前の記事で「3年後に退職するために。」といろいろ考えたことを綴りましたが、そんなに耐えられる気がしません。が、とにかくお金が必要なので辞めるに辞められず……。

今はとにかく怒りで働いているようなものです。矛盾しているようですが。

 

閑話休題

アニメ「ユーリ!!! on ICE」が遂に終わってしまいましたね。

バルセロナは1カ月ほど滞在していたことがあったので懐かしかったです。

あーまた行きたい!

改めて、フィギュアスケートとは競技と芸術が一体となったものなのだなあと思いました。

題材、作画、音楽、そしてなによりストーリーが素晴らしい。

今はこれ以上の言葉が出てこない。

ありがとう、スパシーバ。

3年後に退職するために。

正式に入社してからまだ3カ月、仮入社からやっと9カ月。

一つ仕事を覚えたと思ったら、次の新しい仕事が降ってくる。その繰り返しの中で、少しずつ出来ることが増えてきて嬉しく思うと同時に、多少の焦りも出てくる。

 

3年後に退職するだけのスキルを、身につけられているのだろうか?

そもそも、あと3年も保つのだろうか?

 

いろいろあった私を拾ってくれた今の会社には感謝している。

上司にも先輩にも恵まれていると本心から思っている(組織としては黒寄り灰の泥舟だと思っているが)。

それでも、早晩この会社を辞めるつもりだ。

 

元々、海外で働いてみたい、と思っていた。

しかし、非英語圏に1年弱留学しただけの私には、仕事で使えるだけの語学力は無い。

結局、外国語能力の関係ない仕事を探した。

そして、自分が最も縁遠いと思っていた教育業界でなんとか職を得たのが昨年のこと。

今は国語講師として働いている。

それなりに充実した日々の中で、ふと見つけたのが「日本語教師」という仕事。

 

これだ、と手を打った。

 

日本語教育能力検定試験言うに及ばず、教育職員免許すらも取得していないけど。

薄給で不安定そうだけど。

 

やってみたい。

 

私は、3年というリミットを自ら設けた。

その間に、講師の仕事を覚えつつ英語の勉強を再開する。お金を貯める。

日本について勉強する。いろんな人に出会う。

 

そして、その日が来たら。

不安定な世界に出て行こうと、そう計画している。

 

 

……とりあえず勉強資金を貯めよう。

たぶん4年ぶりくらいに美容室に行って思ったこと。

 

 きっかけは、2週間前のある日のことだ。

視界の隅に白黒の円環が現れた。仕事に無理矢理一区切りつけようとしていたときだ。

「なんだろう、これ」

ぼやぼやしている間にも、モノクローム・サークルはくるくると回り続け、その勢力を拡大していった。おまけに、気が付けば頭が締め付けられるように痛い。

しかし、仕事柄早退は出来ない。私はそのまま仕事を続け、先輩に断って入社以来最速の定時きっかりでタイムカードを切った。

 

 「疲労と緊張が溜まっているのでは」という、ごく当たり前の結論はさておき、職場の人と話していて、確かに眼精疲労は関係ありそうだなあ、と思い当たった。そこで、頭皮マッサージを思いついたのだ。

 そして同時に思い起こす。

そういえば、美容院というものに最後に行ったのはいつだったっけ?

 

 元来、私は自分の見た目に気を遣わない性質だ。

 そりゃあもちろん、醜女よりは美人の方が良いに決まっているし、纏うなら襤褸より小奇麗なおべべを選ぶ。

 ただ、ずうっと自分の趣味――読書やアニメや美術館巡りや旅行、あとはランニング――を優先させてきた結果、「見た目に気を遣う」ことの優先順位は私の中で最底辺に位置付けられた。

 でも、さすがにまずいんじゃないか、と20代も半ばに至って漸く重い腰を上げ始めた矢先にこの白黒円環。

 ちょうど良い機会だ、これを逃したら次はない、と、何故か炭酸泉のパーマの予約までしたのだった。

 ここまでが2週間前の話。

 

 頭にカーラーをちょこんと載せている姿を鏡の中に見ながら、ぼんやりと思う。

 女がキレイになるには、カネと時間がかかるのね。

 1年に2回それも1000円カットに行くか行かないか、くらいには髪に関心のない私だ。

 ここでじっとしているより、美術館に行きたいなあ、鎌倉の紅葉は見頃だろうか、美味しいものを食べたい、と煩悩がぐるぐる、ぐるぐる。ああ、あの白黒円環はストレスではなく欲望が原因か。

 

 3時間強のサービスを終えて。頭皮マッサージで気分が心なしか軽くなったし、なんだかちょっとだけキレイになった気がする。スタッフの対応も、いつもの13倍は良かった気がして気分が良い。

 

 まあどうせ、パーマという魔法が解けたら全てが元の木阿弥なんだろうけど。

煤けた煉瓦は大正浪漫の夢を見たか

11.4.Fri. 「動き出す!絵画 ペール北山の夢――モネ・ゴッホピカソらと大正の若き洋画家たち――」@東京ステーションギャラリー

 

 日本の美術、特に絵画に於いて、明治から大正にかけては特異な時期だった。ヨーロッパで段階を踏んで生まれてきた様々な傾向・様式――印象派、ポスト印象派フォーヴィスムキュビスムなどなど――がほぼ同時期に、一気に流入したのだ。更に、当然のことながら、明治までの日本画家の伝統が完全に途絶えた訳でもない。結果として、日本の洋画は、独特で不思議な混淆を見ることになる。

 

 ――というような知識を欠落したまま行ってまいりました、東京ステーションギャラリー

 いやー、面白かった!本展覧会タイトルの「動き出す!絵画」要素が最後の最後で申し訳程度に出てきただけだったのが気にならないくらい!(尤も、日本最古級のアニメーション・フイルムを3本も見られたという点では確かに特筆すべきことでしたが)

 

 北山清太郎という希代のプロデューサーが駆け抜けた足跡を、雑誌(『現代の洋画』『現代の美術』など)や彼自身や同時代作家の作品などを通じて辿る、という本展。とにかく多彩で精力的な人だと、圧倒された。最初に書いた通り、日本美術に関する知識が全くないので、その本当の凄さが分からず残念である。中学生以来、何故か洋画に対して苦手意識があったのだけど、これを機に見直してみようと思う。多分、だけど知識不足からくる苦手意識だと思うので。

 今回、良いなあと思ったのは、椿貞雄「道」(光の加減が好き)、中村彝(つね)「カルピスの包み紙のある静物」(往時を偲ばせる)。……あとは、ああ、タイトルを控えるのを忘れた、確か、有島生馬「背筋の女」が見返り美人っぽくて素敵だった。

 

 アニメーションは、幸内純一「なまくら刀」、北山清太郎「浦島太郎」、山本早苗「兎と亀」。

 画面の構成は至ってシンプルで、背景として、街の様子なり竜宮城なり山なりがアッサリとした線で過不足なく描かれている。当然モノクロ、音声無し。登場人物の動きはユーモラスで、良く動く。特に、「兎と亀」の兎と亀の、相手を馬鹿にしたような小躍りは、本当に小憎たらしい。カラスの鳴き声「アホー」が文字で兎の口に入っていく演出は意外性があり、音声無しという制約があったからこそ考え付いたものなのかなあ、と感心した。いずれの作品も、作者の遊び心を感じられて楽しかった。

 

 展覧会に行く度に思うのは、美術・或は芸術とは、感性と知識の両方を持ち合わせている必要がある、ということ。

 感性無き知識は唯の情報に過ぎず、知識無き感性は作品や作者との対話が出来ない。

 極偏った範疇の、それも生半可な知識しか持たない私は、「なんだかよく分からないな」と思いつつ、でも美しいものが好きでついついいろんな美術館に足を運ぶ。――或は、もしかしたら、その「なんだか分からない」ものに惹かれているのかもしれない。