平成草子―手習―「千年前の清少納言へ」
春はあけぼの
天の下 ビルの上 すでにみつる光ありて 紫だちたる雲の細くたなびきたる
夏は夜
月のころはさらなり 闇はなし 尾灯(テールランプ)の多く飛びちがひたる
また、おちこちの建物の耿耿とうち光りて止まぬはあはれなり
豪雨(スコール)など降るはわろし
秋は夕暮れ
夕日のさしてビルの端いと近うなりたるに、スーツの寝どころへ行くとて三つ四つ、二つ三つ、一つ一つ一つなど電車に飛び乗るさへあはれなり
まいて をこのもの仮装したるの連ねたるが、ののしるさまを見ゆるはいとをかし ふざけろかし
日入り果てて、風の音、電子の音はた言ふべきにあらず
冬はつとめて
雪の降りたるはめづらかなり 吐く息のいと白きは さらでも いと寒きに暖房など急ぎおこして 懐炉持ているもいとつきづきし
昼になりて ぬるくなれば ねむくなりがちになりて わろし
千年前の清少納言へ。
賢きも痴れ者も。社畜となりて食べゆく我らの生けるところ。洛陽より大きな都あれども、うるさし、きたなし。生けるしかばねあり。楽しかりしことまれなり。
清少納言の遺した随筆は、確かに「美しい国」日本の美しかりし頃を彷彿させる。させるのだが、平成の御世に生きる我々は幻想(ファンタジー)として捉えるほかない。また、幻想だから美しいのだ、といってしまえばそこまでなのだが。
感性の鋭敏な彼女が現代日本を見たら、どのような文章を書くのだろう。